Tuesday, November 27, 2007

皆への「さよなら」

私はこの生活で一番ドキドキした時は最後の留学した日の「さよなら」だったかもしれません。その日の朝に前に書いておいたスピーチを先生と私の国際文化セクションの皆に読まなければならないことになりました。私は高崎駅商大付属高等学校(短く言うと「高崎駅商大」とも呼ばれています)での初めての日にラウドスピーカで国際文化セクションで自分を紹介しました。しかし、その時には私は 日本語が全然しゃべれなくて、多分学生もみんな私は日本語が話せないと思っていたかもしれないと自分が思っていた。それから、私のホストフアミリーは私が書いた 紹介文を書き直してくださいました。ですから、その時には私があまりドキドキしませんでした。
しかし、その日から十ヶ月もたちました。その日々に色々なことがあって、私は何回も 色々な人のお手数になってしまって、本当に学校のみんなの世話になりました。授業とかの時にいつも友達に漢字の書き方とかを聞いたり、どうしたらいいか分からない時に友達に教えてもらったりしました。そして、私の友達が何回も、何回も、私に手を貸してくれました。先生もいつも特別な説明のし方をしてくださいまして、私のせいですごく手がかかったかもしれません。それから言えないぐらいのたくさんのことを皆にさせいただいて、「さよなら」を言った時にその心からのありがとうと言う気持ちを表して頑張りたかったです。
「さよなら」のスピーチを自分で書き見たかったです。なぜなら、自分がたくさん日本語を学びましたと言うことを表したかったからです。ですから、発表する日の一週間前頃に書き始めました。書き終わった時に英語の先生にスピーチを書き直していただきました。書き直してから、何回も練習しました。出来るだけペラペラで話してみたかったです。自分が言っている言葉の意味に気を付けば、いつもなくぐらい悲しくなりました。「十ヶ月で作った生活がもうすぐ終わるなんて、これから友達に会えないなんて」、そう思うといつもとても悲しくなりました。しかし、いつも自分に「まだまだよ!」と言いました。
結局、学校での最後の日が来ました。その朝早く起きて、制服を着て、学校へ行きました。最初に私は教員室へ行って、インターンをした女の 人と一緒に座って、私は首を長くして待ちました。やっと、私の順番が来ました。話し始めたのだけど、途中でめそめそ泣き始めました。 私は顔から火が 出るくらい恥ずかしかったです。しかし、私は恥ずかしくて、悲しくて、どうしても、なかなか泣きやめられませんでした。ラウドスピーカを使って、国際文化セクションの皆に話した時にもまだ泣いていました。しかし、頑張って、スピーチを 二回とも終わりまで読みました。普通は、ずっとドキドキして待っていたことをやっとやると落ち着くけれど、今回「今日は本当にここでの最後の日」と分かっていたからその日はずっと悲しかったです。けれども、今思い出すと皆に「さよなら」が言えたのは本当によかったと思います。

2 comments:

Anonymous said...

あ、なんとなく悲しいですね。私も今まで学校を何回も変えて「さよなら」スピーチをやった経験があるんですが、確かに他の言語で話すのは大変でしょ。よく頑張りました!

Me said...

そうだね。さよならはいつも悲しいところなんだけど、私のほうに、スピッチを言うほうがどきどきすることだ。でもよくできましたから大丈夫だ。面白う話だった。